■2002年ごろ、くんぺい3歳、マルが生まれていないか生まれた頃か。
子育て応援雑誌『プチタンファン』に連載していたころの懐かしいエッセイを・・

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私の宝物

ある育児雑誌の投書欄から。
お子さんの微笑ましい様子を書かれた後に
「・・・・こういう場面、形には残らないけれど、私の宝物です。」と
しめくくってあった一文を読んでなぜか泣けてしまった。

思いもかけない子どもの思いやりを感じたり、すこしずつ成長していく後ろ姿、
毎日のこと、とってもとっても取るに足らない小さなこと・・・
写真やビデオに撮っておけることじゃない。
一瞬のうちになくなるけど心の中にいつまでも残る子どもの姿。

形に残せないけど、なんて素敵な瞬間なんだろうと、
子どもと居て思う時がある。
私は、その一瞬をノートに文と絵で走り書きでもいいからと
書き留める事が多かった。そのノートは20冊は優に越える。
これは、私の宝物だから

くんぺいやマルのバカバカしくも愛くるしい様子は
いつまでも描いていこうと思う。

三田誠広がいいこと書いてた。
「・・・もうわれわれは、年取った夫婦ですけれども、やっぱりその夫婦の話題で
いちばんしみじみと語り合えるのは、子どもが小さかった頃の思い出ですね。(略)
いろんな思い出があるけれども、たいてい女房と一緒に目撃しているので
そういう共通体験。つまり、他の人とは話せない話題というのが
いっぱいあるわけですね。やっぱり二人で子どもを育ててきたということは
共通の体験というか、年とっても絆になっていくと思うんです。」

どこに書いてあったかわからないんだけど、
くんぺいのおかしな一言の次に、続けて走り書きメモしてました。
子はかすがいってやつですかね〜

パパの役割

作家の鈴木光司が、パパの役割について書いている。
「もし、男の方が得意なことがあるとすれば、論理的に説得することかもしれない。」
「子どもは無条件に愛されることも大事だけど、論理的におかしいことを説明する事も大事」


女はどうしても感情的な生き物だから、
私からパパに望むことは、客観的に論理的に第三の目で母と子を見守ってほしいということかな。
母と子って一日中、良くも悪くも顔を突き合わせて一緒にいる。
「母親と子どものストレスの受け皿になることがボクの役目かな〜」
そう言った知り合いのパパもいた。
そうそう、でんっと構えて母と子のバトルを受け止めて、その上で
うまく流してくれれば(ここが肝心)
これ以上、母にとって嬉しいことはない。

コトバのまき

くんぺいがイクラちゃん(サザエさんちの)ぐらいのころは、一言一言がホントにかわいかった。
ボールを蹴りながら「キック」と何度教えても「クッキー」。
タラちゃん期になると朝から晩までどちてボウヤ。
しかも質問が高度。
「“びっくりする”の栗ってどんな栗?」とかね。
そして現在、我が家にはクレヨンしんちゃんがひとりいる。
しんちゃんみたいな園児って実際に存在するのか?と思っていた私がウブだった。
先日も小児科へ行ったときのこと。
診察中にあまりにうるさいので静かにしろと怒った後、

「もっと考えなさい!」と付け加えると、こっちをクルッと振り向いて一言。
「じゃあ、ママは考えてんのか?」

そう言われると・・。

口ごたえが核心をついていてまいったゾ。
おっしゃるとーり、私こそな〜んも考えとりません。

パパの戸惑い

はじめまして。マル父です。
第2子が女の子ということで周りからは「特別カワイイでしょ」
よく言われるんですが
男ばかりのだんご3兄妹で育ったボクとしては、戸惑いの方が大きいです。

顔に水疱瘡の跡が残ったらどないしょ。とか
愛想よすぎるのも誘拐されやすいかな。とか
年頃になって赤飯食べる日が来たときは一言いわなアカンのかな。とか。
結婚式のとき、♪『娘よ』がうまく歌えるやろかなど
心配はつきません。

・・・結局これが皆の言う“特別な想い”なんでしょうかねぇ。